人間は、お金を沢山稼げば稼ぐほど、幸せになれるかというとそういうわけではありません。
1人あたり年収800万円(家族がある場合は、年収1500万円)以上増えても、幸福度は増さない、金融資産は1億円以上増えても幸福度は増さないとされています。それ以上、年収と金融資産は一定額を超えてもそんなに幸福度は上がらないとされています。お金があれば、幸せになれるわけでもなく、もっと働いてもっと稼いでも、仕事に追われることで過労やストレスで不幸せになってしまうことがあります。
幸せの脳内物質は、お金を稼ぐと一時的に増えるだけで、すぐに元に戻ってしまいます。人間の遺伝子は、幸せの脳内物質が持続しないようにできているのです。
お金を稼げるかどうかは、その人の努力だけではなく、遺伝子、環境、運などが大きく左右しています。お金を沢山稼げる人が幸せなわけでもないですし、大金持ちの家に生まれた人が幸せなわけでもありません。なぜなら、そのように遺伝子が設計されているわけではないからです。
頭が良くグローバル企業で働いている人も、頑張りすぎて疲れて自殺してしまうことも、家が金持ちで、何不自由ない生活をしている人も、引きこもりなってしまうことも、宝くじで大金が手に入った運の良い人も、一時的な幸せで、転落していくこともあります。
足の速い人もいれば、遅い人もいるのと同じように、仕事で成果を出せるかどうかは、遺伝子によってある程度決まっています。「努力すればどうにかなる」「努力しないから仕事のできが悪い」という考えは間違っていることもあります。人は同じ能力を持って生まれてきたわけではなく、スタート地点も伸びしろも同じではないのです。
暗記をすれば、記憶力のあまり良くない人でも時間をかけることによってどうにかなることもある受験勉強と違って、努力することは大事ではありますが、どんなに頑張っても仕事ができない場合もあります。
もちろん、同じ人間であっても、仕事の内容によって、必要な能力は変わってくるわけで、得意不得意があります。
「頑張れば、お金を稼げるようになる」「頑張りが足りないから、稼ぐことができない」という思い込みが、自分を苦しめることもあります。人の顔が違うように、人間の能力も遺伝子による個人差がありますが、どうにも「努力」や「頑張り」次第でどうにかなるという、努力教のようなものが社会に浸透していることが、人間を傷つけていることもあります。
一人なら年収300万円、子供のいる夫婦なら、世帯年収400万円があれば、ある一定の衣食住が整った生活をすることができます。
それ以上は、労働への対価として得るお金により交換できる快楽・幸福と、労働のために感じる苦痛・不幸とのバランスになります。
労働をしても苦痛・不幸をあまり感じないのであれば、快楽・幸福につながるお金を稼ぐことを優先することになります。
逆に、労働をすると苦痛・不幸を強く感じるのであれば、快楽・幸福につながるお金を稼ぐことを優先せず、節約することになります。
あまり苦とは感じない労働をしている人は、今までの社会では恵まれていましたが、苦を感じる労働をしている人も、労働時間を短くしたり転職も以前よりも容易できるようになりました。
労働への対価として得るお金により交換できる快楽・幸福が+5で、労働のために感じる苦痛・不幸が-1合計+4
労働への対価として得るお金により交換できる快楽・幸福が+6で、労働のために感じる苦痛・不幸が-3合計+3
とすると、合計+4の方が合計+3よりも快楽・幸福が少ないですが、苦痛・不幸も少ないので、合計+4の方が良いといえます。
具体的には苦痛・不幸が少ない仕事で年収500万円、苦痛・不幸が多い仕事で年収600万円の仕事であれば、年収500万円を選ぶことになります。
年収が低い仕事をあえて選択することもあるのです。
年収300万円であれば、社会保険料+所得税+住民税=年間合計60万円のため、手取りは年間240万円、月間20万円になります。
家賃(1R) | 5万円 |
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光熱費 | 1万円 |
ネット | 1万円 |
食事 | 3万円 |
合計 | 10万円 |
家賃(2LDK) | 8万円 |
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光熱費 | 2万円 |
ネット | 2万円 |
食事 | 6万円 |
教育 | 2万円 |
合計 | 20万円 |
お金を稼ぐことを決して否定しているわけではありませんが、苦痛・不幸であっても労働を代償として、お金を稼いで快楽・幸福を得るという価値観が合わないと感じるのであれば、そのようなコミュニティーや人とは距離を置くのも選択肢です。
そのようなコミュニティーから距離を置くことにより、そのような価値観に影響を受けにくくなります。
日本人の平均給与が上がらなくなったといわれていますが、なぜでしょうか?
戦後から1980年代までは、アメリカやヨーロッパなどの先進国の労働者と競争していましたが、冷戦終結後、社会主義国が資本主義国になり、1990年代以降は、中国や東南アジアなどの発展途上国と呼ばれていた国々の労働者とも競争するようになりました。
日本人を一人当たり月給30万円で土地代の高い日本に工場を稼働させるよりも、中国人を一人当たり月3万円で土地代の安い中国に工場を稼働させる方が効率的です。
中国などに工場は移転して、日本の工場は閉鎖され、工場で働いていた日本人は別の仕事をするようになりました。
政治の責任にする人もいますが、発展途上国の給料の安い人に仕事が流れていけば、給料が上がらないもしくは下がるのは当然で、ある程度はいたしかないのではないでしょうか。 今後もグローバル化の流れは止めることはできないでしょう。
〈 『上級国民/下級国民』をベルカーブとロングテールで説明する 〉
70億人のネットワーク化された情報社会では、ごく一部のグローバル企業が多くの利益を出して、その利益で多くの付加価値を生み出す優秀な頭脳の人に高い給料を支払っています。
勝ち組グローバル企業は利益を上げる→高い給料で人を雇える。逆に、負け組中小企業は利益が出ない→安い給料でしか人を雇えません。市場規模が大きくなると、それだけ多くの給料を支払うことができます。
例えば、売り上げを10%上げることができる優秀な頭脳の持ち主がいたとしましょう。日本国内の市場のみであれば、1億円の売り上げを1億1000万円にすることができますので、給料を300万円支払えるとします。グローバル化して世界中の先進国市場であれば、10億円の売り上げを11億円にすることができますので、給料を10倍の3000万円にすることができます。
一例に過ぎませんが、グローバル化した知識社会ではこのようなことが起こるのです。優秀な頭脳に、高い給料となりますが、それ以外のある程度優秀な頭脳には、高い給料がつきにくくなっているのです。
第二次世界大戦以降戦争がなくなったため、格差が広がっています。第二次世界大戦により、日本は焼け野原になり、その後にインフレが起きたこともあり、ゼロからのスタートとなりました。
戦後の高度経済成長を引っ張っていった世代の人間は亡くなりつつあり、稼いだ富は子供や孫世代に移転しており、財産を相続した人間とそうでない人間にも格差が広がっています。とはいっても、戦争で焼け野原にならなかったアメリカに比べると格差は少なく、日本は最も格差が少ない国の一つです。
時代とともに働き手は変わってきていて、農業社会では手作業で農業をおこなう人間、工業社会では工場で機械を管理する人間、情報社会では今までの人間のかわりに働く人工知能のロボットに移り変わってきました。
いつになるかはわかりませんが、今後AIの生産性が向上して、最終的には、人間があまり働かなくる社会になるでしょう。現在は、人工知能のロボットが働き、人間が働かなくなってもよくなるまでの過渡期とも考えられます。
働かなくても生きていける時代が来るわけないと、思う方もいるかもしれませんが、既に、富裕層、年金生活の高齢者、専業主婦は、働かないでも生きていける社会でもあります。未就学児や学生もいれれば、12000万人強のうち、半分の6000万人強の人が働き、もう半分の6000万人強の人が働いていない状況です。
働く人が全くいなくなることはありませんが、数十年単位のスパンでは、労働力不足が解消され、仕事が減ってきて、週5日働いていたのが週3日で充分になっていくかもしれません。
人工知能のロボットが働いて、人間が働かなくてよい時代にならず、仮に年金があまり貰えなかったとしても、働ける限り仕事を続けるなら、老後の不安は軽減されます。テクノロジーが進化して、やりたくない仕事は避けることができ、より進化すれば、仕事をしなくてもよくなったら儲けものくらいの考えがいいかもしれません。
AIが働くことになるわけですから、今現在、AI関連の会社投資するという手もあります。そうすれば、AIが稼いだ利益を間接的に得ることができます。AI関連の会社に投資して、自分の代わりにAIに働いてもらうという発想です。
AI関連の会社で有名なのは、アメリカでいえば、グーグル、アマゾン、フェイスブック、中国であれば、アリババ、テンセント、バイドゥなどです。日本では、ソフトバンクグループがAI関連の会社に投資しています。
私はクリニックを運営していますが、将来AIにクリニックの仕事を奪われるかもしれません。そのため、クリニック×AIを開発している会社に投資をして、リスクヘッジをするなどの対策するなども考えています。日本国内のクリニック×AIの分野で投資をしている会社としては、アマゾンやソフトバンクグループなどがあります。
7.良質な情報を集めるテクニック