情報社会では、在宅勤務などすれば、人と全く接することなくお金を稼ぎ生活することができますが、そのような人はほとんどおらず、親友や友達と関わりながら生きています。それは、人間との関わりで幸せを感じるようにできているからです。心の距離が近い人間との関係性ほど、幸せもしくは不幸せな脳内物質が出やすいわけです。
家の中で引きこもっている人でも、LINEやTwitterで人との関わりがあります。実際にリアルで会うコミュニケーションだけでなく、オンラインでのコミュニケーションが急速に拡大していて、今まで以上にネットでのコミュニケーションが増えていくでしょう。
人間の他人に対する心の距離感は、狩猟社会の時代とあまり変わっていませんので、近い順に親友、友達、知人の順に心の距離感があります。
仮に、親友が2人、友達20人、知人200人がいたとします。人数で割り振ると、おおよそ親友が約1%、友達が約10%、知人が約90%になりますが、プライベートにおいてはコミュニケーションの比率は、個人差はありますが、例えば親友が60%、友達30%、知人10%など親友や友達に大きなウェイトを占めます。
「(小学)1年生になったら、友達100人できるかな?」という歌がありますが、実際には100人も友達を作りコミュニケーションするのは無理です。人間は、大人数を平等に接することができるようには作られていないのです。
幼稚園や保育園の先生方が、園児が小学生になり環境が変わっても学級内や学校内で子供同士がトラブルにならないように、授けた知恵でしょう。
スマホの発達により、家庭、職場、学校、趣味A、趣味B、Cさん主宰のコミュニティー、Dさん主宰のコミュニティーなど複数のコミュニティーに所属するようになりました。
・ 家庭であれば、父親は友達、母親は親友、妹は親友、弟は友達などの心の距離感
・ 職場の同じ部署であれば、上司と同僚1名ずつは友達、その他数名は知人の心の距離感
・ 学校であれば、1名は親友、数名は友達、その他数十名は知人の心の距離感
・ 趣味Aであれば、1名は親友、その他数名は知人の心の距離感
・ 趣味Bであれば、2名は友達、その他数名は知人の心の距離感
・ Cさん主宰のコミュニティーであれば、1名は友達、その他数名は知人の心の距離感
・ Dさん主宰のコミュニティーであれば、数名は知人の心の距離感
など、複数のコミュニティーに所属しています。
女性の社会進出により、専業主婦から共働きとなり、ご近所付き合いは薄くなりつつあり、結婚後の女性も会社のコミュニティーをもつようになりました。
人によっては、家庭も今の家庭以外にも前の家庭、職場も今の職場だけではなく以前の職場Aや職場B、学校も小学校・中学校・高校・大学ごとにコミュニティーがある場合もあります。
血のつながりがあったとしても、親と折り合いが悪く、知人くらいの距離感である場合もあります。どのくらいの数のコミュニティーに所属すればよいかは、個人差はありますが、家族のコミュニティー、会社のコミュニティー、趣味Aのコミュニティー、趣味Bのコミュニティーなど、主に活動しているコミュニティーは数個であり、仮に、10個以上所属していたとしても、活動するコミュニティーは入れ替えていくことになります。
自分にとって合わないコミュニティーであれば、転職や退会することもできます。趣味の会や誰かが主宰するコミュニティーであれば、休会するまでもなく自然に顔を出さなければ良いだけです。
「家族であるから親子は仲良くするべき」「職場の上司には可愛がられなくてはいけない」「趣味のコミュニティーで、そりが合わない人とも我慢しなくて一緒にいなくてはいけない」など、つい固定概念にしばられてしまいがちですが、農業社会や工業社会での固定化せざるを得ないコミュニティーならいざ知らず、情報社会では心の距離感を取っても、お互い同じコミュニティーや別のコミュニティーで、別の人と関係性を構築することができますので、様々な距離感があっても許容されるようになりました。
1対1の人間関係でも、心の距離感は時間と共に変化していきます。知人と仲が良くなり、友達になったり、逆に親友がそりが合わなくなり、友達になったり流動的に入れ替わるようになりました。固定化された以前よりも、様々な価値観があり、コミュニティーも多く所属できるようになったため、自分の価値観なども変わりやすいといえます。
寂しい面もあるかもしれませんが、今の時代は引きずることなく、変化していくことが必要です。義理に囚われて、心の距離感を変えられないと、お互い息苦しくなります。変化する可能性もあるため、軽々しく一生親友でいようなどとは言わない方がいいかもしれません。
オープンなコミュニティーというのはコミュニティー内での人の出入りが自由なコミュニティーのことです。
趣味のサークルや、過去に通っていた学校や勤めていた職場の仲間のつながりなどもオープンなコミュニティーで、集まりがあっても必ずしも参加しなくてはいけないわけではないですし、途中で抜けることができ自由があります。
同じコミュニティーの中でも仲がいい人とそうでもない人もいます。コミュニティーの中では、そうでもない人とは距離を保つことができますし、なにかのきっかけで仲良くなることもあるでしょう。
情報社会となり、コミニュケーションコストが下がり、オープンなコミュニティーが簡単に作ることができるようになりました。
逆に、クローズドなコミュニティーであれば、コミュニティー内での人の出入りが制限されているコミュニティーのことです。
学校、職場、ご近所付き合い、親戚付き合いなどが挙げられますが、最も濃密なコミュニティーは家族でしょう。
クローズドなコミュニティーでは、イジメ、パワハラ、村八分などがあっても、逃げることができません。人間は、コミュニティーから外れることにストレスを強く感じるようにできています。
クローズドなコミュニティーも悪いことばかりではありません。人の入れ替わりがないため、時間の経過と共にお互いの絆が強くなります。学校や職場などのクローズドなコミュニティーでは、親友ができやすい環境でもあります。
苦手な人とつながって、攻撃したり、論破したり、無理に仲良くしたり必要はありません。自分も苦手な人も大人ですから、価値観を変えることは難しく、仲良くする必要もありません。
日本国内では、LINEは、親友、友達、知人とのコミュニケーション、Facebookは、親友、友達、知人の出来事を把握するために使用されています。固定電話や携帯電話で話すほどでもないけど、出来事についてコメントすることができ、新しい形でコミュニケーションできます。
直接会ったり、電話で話したりするなどお互い時間を合わせる必要がないため、通勤の行き帰り、仕事の休憩時間などの細切れ時間に、自分のペースでコメントや返信するなどコミュニケーションできるのも画期的です。
また、学校や職場で知り合った連絡先がわからずご縁が途切れてしまった人とも、Facebookではつながれるのはありがたいことです。
情報社会になる前の工業社会のコミュニティーは、固定的で、男性なら家庭と職場、女性なら家庭とご近所付き合いだけでした。男性は仕事のため職場に、女性は主婦のため家に縛られていたのです。男性は仕事で「人間関係がうまくいかない」、「女性はご近所付き合いがうまくいかない」と、途端に不幸せになってしまいましたが、情報社会では、それ以外のコミュニティーが複数あるので、影響を受けにくくなっています。
保育園もしくは幼稚園、小学校、中学校、高校、大学では、同い年の人間ばかりと接するような仕組みになっています。年齢が違う人間とは友達になりにくく、本来なら年齢が違う年齢の人の方が合う人もいるはずなのに、教育システムのせいで同じ年ばかりに集中しがちです。
狩猟社会では、幅広い年代の人間と友達や知人の心の距離感で生活していたわけですから、遺伝子的にも年齢の異なる人間ともコミュニケーションが取れるようになっているように設定されているはずですし、その方が自然といえるでしょう。兄のような年上の男友達、妹のような年下の女友達がいることにより、多様な価値観に触れることができます。
価値観の異なる知人レベルの人と、ご飯を食べに行くのもストレスになるかもしれませんが、共通の趣味があれば、知人レベルの心の距離感でも、仲良くなれます。趣味を通して共通の話題がありますし、価値観も近い可能性が高いです。私も、コミュニティーで知り合い、個人的な付き合いが始まり、何年も友達付き合いをしている友達もいます。
親友や友達であれば、特定の共通の趣味がなくても、楽しむこともできます。親友だからといっても、なんでもついてきてくれるわけではありませんが、心の距離が近い親友が一緒にいるだけで、その時間を楽しむことができます。
人間の脳は、無意識にも付き合う人間の感情を真似るようにできています。幸せに生きていくには、幸せな人と友達になり、不幸せな友達とはご縁を切るのが合理的ということになります。幸せに生きている人の周りには人が集まり、不幸せに生きている人の周りには人が離れていくことになるわけです。
とはいっても、学生時代でもあるまいし、知人から友達、そして親友はなかなかすぐに作れるものではありません。ポイントは、同じ時間を長く過ごし苦楽を共にすることです。同じ時間を長く過ごすだけでなく苦楽を共にすることにより、愛着が生まれ、心の距離感が縮むようにできています。学生時代は、同じ教室で閉じ込められて、半強制的に同じ時間を過ごしているわけですから、その分愛着が湧きやすく、友達、親友になりやすい環境といえます。学校だけでなく、幼なじみ、会社でも同じようなことがいえます。
交際している彼女や彼氏は、心の距離が近いものですが、距離感としてはかなり個人差があるものです。皆が親友と同じくらい距離感が近いというわけではなく、外見的には「カッコイイ」「カワイイ」で好きだけど、気が合わないわけではないけど、友達くらいの距離感の場合もあります。心の距離感が近くないと、外見などの性的魅力は時間と共に下がってきますから、一緒にいても苦痛になりがちです。そのためにも、性格が合う人と結婚することをおすすめしています。
男性にとって女性は、結婚するメリットとしては、性的魅力、家事能力、男性の親友としての魅力の3つの要素に分解することができます。
性的魅力は、時間と共に薄れていき、年齢が上がると誰でも落ちてしまいます。家事能力は、コンビニや全自動洗濯機で代替できます。親友としての魅力は、時間と共に下がりにくく、愛着が湧いてより高まることもあります。
女性にとって男性は、結婚するメリットは、性的魅力、お金を稼ぐ能力、女性の親友としての能力の3つの要素に分解することができます。
性的魅力は、時間と共に薄れていき、年齢が上がると誰でも落ちてしまいます。お金を稼ぐ能力は、自分で稼ぐことで頼りにしすぎることはなくなりました。親友としての魅力は、時間とともに下がりにくく、愛着が湧いてより高まることもあります。
ちなみに、子供がいる場合は、子育ての能力も必要ですが、それも保育園、小学校、中学校、習い事などで、代替できますので、あまり必要な能力ではないのかもしれません。
合わない人と結婚すると、夫婦仲が悪いまま結婚生活を送ることになるだけでなく、子供の成長にも影響を与えます。
ネットワーク化された情報社会であっても、血のつながりについての愛着はなくなりません。人類は自分の遺伝子を後世に伝えて発展してきましたので、家族の絆は比較的容易に幸せな気持ちにさせてくれます。
親離れできない、子離れできないこともあるようですが、両親や兄弟姉妹と楽しむことができれば、親友や友達と会う必要がない人もいるくらいです。
結婚のメリットとしては、子供ができると、将来子供や孫ができれば孫と時間を楽しむことができる点が大きいです。究極の将来への楽しみへの人間関係への投資ともいえます。投資ですので、実ることもありますし、実らないこともあるでしょうが、将来への楽しみの一つです。
人間には困っている親友や友達を助けると、自分が幸せになれる性質があります。見返りがなくても、太古の昔から助け合ってきた人間の遺伝子が生き残ってきたからでしょう。
友達や知人の人数がSNS(FacebookやTwitterなど)により可視化されるようになりました。
金融資本と同じように社会資本という考え方があり、「友達の数」や「いいね!の数」などのつながりが多く影響力があればあるほど、社会資本があるとされています。
ところが、幸せについていえば、つながりや他人へと影響力があればあるほど、つまり社会資本があるほど、幸せにつながるとは限りません。
なぜかというと、人間の脳がそのようにできているわけではないからです。狩猟社会においては、群れで行動しており、友達は数十人、知人は数百人までしか認識することができず、しかも、親友や家族などの心の距離が近い人間が心のウエイトの大部分を占めるように作られているからです。
情報社会では、その気になれば、多くの人と友達や知人の関係になることができます。ところが、つながりすぎて疲れてしまう人も少なくありません。間違えてはいけないのは、魅力的な親友や友達を沢山得ることが重要なわけでなく、幸せな時間を過ごせる1人か2人の親友、数人の友達との関係性が大事なのです。逆に、親友や友達は少ない方がいい場合もあるのです。
6.お金を沢山稼いでも、幸せになれない